工藤艦長が乗り込んだ雷の画像です。
間違えました。こっちです。
駆逐艦「雷」と工藤艦長にはあるエピソードがあります・
スラバヤ沖海戦で沈んだイギリス軍駆逐艦「エンカウンター」は日本海軍の攻撃により沈没し、乗組員は救命ボートで脱出しました。
海には他の巡洋艦の乗組員を合わせて四百名以上が漂流していました。
しかし、漂流者に対して救命ボートは8隻しかなく、イギリス兵はボートにしがみつくことがやっとで、極限の状態が続きました。
漂流してから20時間以上がたちましたーー助けはまだ来ない。
「もう限界だ・・・」イギリス兵の疲労は限界に達しており、自殺しようとする者まで現れました。
その時前方に一隻の艦が現れました。
イギリス兵はそれぞれオールを振って叫び、助けを求めました。
・・・しかしそれは友軍の艦ではありませんでした。
駆逐艦「雷」の艦長、工藤俊作少佐にすべてが委ねられていました。
目の前にはボートや浮遊物につかまって、必死に助けを求めるイギリス兵たちの姿。
しかし、雷には二つの危険がありました。
一つは、ここがいつ敵の潜水艦に襲われても不思議ではない危険水域だったこと。
そしてもう一つは漂流中のイギリス兵の人数でした。
駆逐艦「雷」は小さな軍艦です。
乗員も漂流者の半数の2百名程しかおらず、敵兵を引き上げると艦が乗っ取られるリスクもありました。
漂流中のイギリス兵は、現れた艦が日本のものだと分かると死を覚悟したといいます。
工藤艦長の決断は「敵兵を救助せよ!」でした。
しかし、差しのべられた手をイギリス兵は取りません。
「なぜ?」と問いかける日本兵に、イギリス兵は“Handle first, Handle first! ”(病人を先に!)と応えたといいます。
20時間以上漂流していたにもかかわらず、イギリス兵の心には騎士道の血が流れていました。
イギリス兵の衰弱は予想以上であり、自力で縄梯子も上がれない状態でした。
それを見た工藤艦長は友軍の救助であっても使用が許されないラッタル(大型階段)を降ろし、周囲を警戒していた人員さえも救助に向かわせたといいます。
救助されたイギリス兵は彼のことを「武士道の実践」として評価したそうです。
平成15年、当時漂流し、工藤艦長に救助されたフォール卿が彼を探して来日しました。
工藤艦長は既に他界していましたが、この来日によって初めてスラバヤ沖の救出劇は日本人に知られました。
そしてこれを聞いて、誰かが思い出したあるエピソードがあります。
工藤艦長の持つバックがあまりにボロボロだったので、新しい物にしないか聞いてみたことがあったとか。
工藤艦長は「これは昔、イギリス兵からもらった大切なバッグなんだ」と語ったそうです。
・・・最初に艦これの画像を出したのは、決して間違たわけではなくて、艦これでも雷と電は相手を助けようとする2人として描かれていますよね。
史実の事を知っていると二人の言葉が重くなります。
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